インド思い出、、恐ろしかったインドでの手術
2010年5月から5年、2018年7月から4年弱の合計9年インドのグルガオンに駐在しておりましたので、インドには詳しいです。
さて、長い駐在生活で最も恐ろしかったことはなんだったろうか?と思い返してみました。まあ、インド中あちこちいきましたし、いろんなものを食べたり、いろんな人に会ったり、いろんな経験をしましたが、恐ろしかったといえば、なんだろう?バイオレンス的な恐ろしさはインドでは少ないんですよね。あ、あれかな。
2019年5月、、、インドで右手を複雑骨折し、インドの病院で全身麻酔で手術、一泊で入院を体験しました。これですな。
怪我の経緯はあまり書きたくありません。というか泥酔してて記憶も不明確。とにかく不注意で金曜日の深夜に右手のこぶしを痛めてしまいました。もう痛くて痛くて。。。しかし、週末でしたし、そのままにしていて、実は日曜日にお客さんの家族の結婚式に参列する用事があって、日曜の朝からRaipurという街に出張に行ったんですよね。その時は適当にテーピングだけしていたんですが、どんどん腫れてくるし、とにかく痛い。
それで、翌日の月曜日にRaipurからデリーに飛行機で戻ってきたんですが、あまりに痛いので、会社に戻らず、空港からFortis病院に診察に行ったんです。そしたら、ひどい骨折…
僕はインドではほとんど病院に行ったことが無かったんです。インドの病院って信用できないじゃないですか。そもそも僕は身体も頑丈だし、健康でほ病気なんてしないので、病院に行く必要もほとんどなかったんですよね。しかし、骨折となるとどうにもならない。
Fortisはインド全域にある高級な病院で外国人でも安心して診察ができます。英語がちゃんと通じますし、清潔です。主治医の若い男性の先生はとてもいい方できちんと説明してくれました。
とにかくひどい骨折であり、直すには手術をして骨折部分を整えて、金属を入れてしばらく保護する必要がある、と。急げば、明朝手術できるぞ、と。
金曜の夜から三日間ひどくなる一方の右手を見ていましたので、もう先生の指示に従う他ありませんでした。そのまま入院。。。
右手の小指の付け根の部分が骨折しております。。
個室に入院しましたが、インドでは食事は付き添いの人の分と合わせて二人分給仕されます。美味しくないです。
基本的には元気だったんです。右手以外は。
手術は翌日の火曜日の早朝に行われる、ってことで、とにかくそのまま入院。個室の部屋に入れてもらいました。しかし右手以外は元気ですから、仕事したりなんかしてね。インドの病院に入院という初体験をこの時は少し面白いかな、位にも感じておりました。
早朝6時前頃にスタッフがやってきて、下着も全部脱いで手術着だけを着ろと。海外ドラマで見たことあるようなほおっかぶりみたいな手術着を素っ裸の上に着ました。付き添いも誰もいない僕はとっても不安でしたけど、ま、しょうがない。そのままストレッチャーに乗せられて、違う階の手術の待合室の移動されました。そこには手術待ちの人が何人かストレッチャーに乗って並んでました。
スタッフさんがあいさつに着てなんだか説明しています。とはいえ、ここまで来てできることなんてないわけで。僕の手術は右手ですから食事制限があるわけでもないしね。恐怖体験はこの後なんです。
さ!手術室へ移動!
インド人の若い医者二人が僕の乗ったストレッチャーで一緒に向かいます。しかも、一人は携帯電話で雑談しながら、です。をいをい、どーゆーこと?
そして、手術室に入って、麻酔をかがされ、「One, Two, Three,,,」とカウントして、だんだん眠気が、、、
その時に、また若いスタッフの携帯電話の着信音が聞こえました。え?携帯ここでも持ってていいの?
そして、恐ろしいことに、そいつは携帯に出て、しゃべり始めました。。
そのあたりで僕の意識は飛びました。。。
インドはどこでも携帯電話でしゃべり倒します。病院の待合室とかでもおかまいなしです。どいつもこいつも場所をわきまえず、どでかい声で電話ばっかりしています。しかし、手術室でもしゃべるとか。。そいつらに俺の右手の運命をゆだねるのは辛い。。。
目が覚めたのは、お昼前ぐらいです。
右手はギブスでがちがちに固めてありました。
手術前
手術後
手術後の金属入り
ギブスはこの後、2か月弱強いられました。当たり前ですが、右手が使えない、ってのはめちゃくちゃ不便でしたよ。字が書けない、箸が持てない、スプーンさえ持てないんですから。仕事にも大きく影響しました。
で、悪いことに海外出張やら旅行やらの予定が詰まっており、手術翌週にはタイのパタヤにお客さま同行の旅行、そのあと事業部の世界会議に出席するために米国ニューヨークへ出張、さらにその後駐在仲間とタイのバンコクへ遊びに。。。いろんな意味で思い出深いものとなりましたね。