インド駐在時代のインド生活とロックダウンに関する未公開コラム
2020年インドに駐在しているころ、コロナでロックダウンを経験しましたが、その当時ある日本の大学の関係者からインド駐在の生活とロックダウンについて紹介するコラムを書いてくれないか?と依頼を受けました。僕は書くことは好きだし、記念になると思い、快諾してコラムを書きました。
ただし、コラムでは自分の勤める会社名も公開することになっていたので、本社の人事や広報に内容の確認もして、報酬もないし多少のコンテンツの添削を経て、公開に至りました。
しかしながら、ある筋からクレーム、というか老婆心によるチェックが入りまして、公開しないほうがよくないか?社外秘的なところは大丈夫か?と言われました。僕としては本社の人事と広報が了解済みだから問題なかろうと思っていましたが、結果的には安全サイドということで公開を辞めました。残念。こんなサイトでは怒られることは無いと思いますが、会社は常に安全サイドによりますよね。僕のような異端児は好まれないのですわ。
あの当時、SECなどの対応はしていなかったはずですが、大学からは、公開したサイトは校内校外で非常に人気が高く、Google検索でも一定のキーワードでかなりのヒット数である、と連絡を受けていました。書くことを仕事にしているわけではありませんが、せっかく書いたものですから、たくさんの人に読んでいただくのはうれしい気持ちになりますね。ま、結果的に大学の方にはご迷惑をおかけし、途中での公開中止となってしまいましたが。。。
ここは私自身のサイトでNoteBlogですから、自分の文書コラムをここで一気に公開します。文字ばかりで読みにくいと思いますが、自分でもあの当時のロックダウンの思い出や、インド政府への不信感、などなど思い出しますね。少し写真も足しておこうか。。。
コラムはコロナの話では無く、インドはどんなところ?⇒インドでの生活?⇒コロナ前⇒ロックダウン⇒アンロック、という感じの構成です。
これを書いたのは、2020年夏から秋です。今現在とは状況が異なることもあるし、僕の考えも違っていることもあることはご容赦ください。
■インドってどんなところ?
インドについてどんなイメージを持たれていますか?「暑い」「カレー」「不潔」「ターバン」。。。
私も初めてインドに行く前はよく知りませんでした。当時の上司に「世界中どこでもいつでも駐在しますよ!」って昼飯の時につい言ってしまったのが、私のインド駐在のきっかけだったと思います。ま、人生の転機はどこに転がっているかわかりません。インドで駐在するってすごい大変なんだよ、って誰かが言ってましたし、インド駐在は拒否権があるとかないとか?要はみんなが行きたがらない海外駐在先がインドでした。
2010年7月15日。私が初めてインドに来た日です。まだ今のデリー空港のターミナル3ができる前のぼろいターミナル1でしたが、なんとも貧相な空港だなあ、というのが最初の印象です。そして、車でグルガオンに向かう途中の道路はボロボロだし、牛はあちこちいるし、えらいとこにきちゃったぞ、と感じましたね。外はとにかく暑くて不快でしたし。インド料理はおいしいのですが、着任翌日に下痢になり、毎日のように続くインドのお客さんとのインド料理の会食でスパイス効いた食事が続くことで下痢は一切よくなりません。日本から持ってきた正露丸は全く無力、もしかしたら一生下痢が治らないかもと不安になりました。着任から一か月半たってあきらめ気味に購入したインドの薬局での下痢止めを飲んだ直後に下痢が一切直ってしまったのも逆に恐ろしかったです。以降、人間は進化するもので、辛い物もどんどん食えるようになったし、下痢はなってもすぐ直るようになり自身のサイボーグ化を日に日に感じるようでした。
インドの魅力は13億人いる人口、それに尽きます。しかし貧困層が多く、経済的にはまだまだですが、以前の中国のような今後の成長と経済的な発展が期待できるところです。インド人は商売人気質の人が多く、世界中で活躍しておりますが、とにかくインドの商人はダメ元交渉してきますので、最初はとまどいます。しかし、非常にウェットな気質であるインド人は懐に入ることでそれまでと違った人間関係を築けると思いますし、根はとてもいいやつが多いです。
一方で、東南アジアなど比較にならないほど極悪非道な詐欺師が多いのも事実です。なかなか素人には慣れるのも攻めるのにも時間がかかる土地であるような気がします。
インドでは70%ほどがヒンディ語をしゃべると言いますが、100%ではなく、異なる言語が500以上もあると言われています。イギリスの統治があった影響で、よいか悪いか英語が公用語となりました。インド人の英語はかなり癖があり、米国英語を習ってきた我々日本人からすると「何語?」と戸惑うこともありますが、間違いなく英語です。インド人が英語しゃべれることが世界で彼らが活躍できる大きなファクターだと思います。日に日にインド英語に慣れて彼らの言ってることが聞こえてきて、自分のしゃべる言葉もそこによってきます。そうなると、どんどん欧米英語から離れていき、TOEICの点数はあがりませんよ(笑
とにかくどでかい国土で、パキスタンとはもめていますし、中国とも国境問題でもめています。原発ももっているし、核保有国でもあります。しかしながら国は貧しく、汚職は多いし、凸凹な国でもあります。BJPという政党がこの国を引っ張り、モディ首相がこの国をよくしてくれるだろうとインド国民は期待していますが、どうなるか?まだまだ途中のようですし、大多数のヒンドゥ教教徒が引っ張りながらも、ムスリムもクリスチャンも相当数いて、貧富の差がすさまじいのも全然解決しません。こんなアンバランスがインドであり、大国でありながら、まだまだ発展途上国のレッテルを外し切れていないような気がします。
インドで一番有名な世界遺産であるタージマハール
南インド定番のミールス
北インド料理ドライマトン
■インドで駐在、インドで生活する
私が感じるインドの魅力はあり得ないことが毎日起こる非日常と、限りなく感じる市場の成長性です。しかし、口で言うほど簡単ではありませんが、魅力であることは間違いなく、私は二回目のインド駐在は自身が希望していたことで、実現させてくれた会社に感謝しています。現場で仕事していると、インド人は利己的だし、チームワークは悪いし、納期は守らないし、ほんと腹立つことだらけですが、それも楽しいんですよね。大いなる可能性を感じます。もちろん不安も大きいですし、米国や中国のような消費大国になりえないインドの限界もあるような気がしますが、この最後の大国で仕事することは大変な刺激になっています。
私はグルガオンという都市に住んでいます。ここは首都デリーの隣に位置する新興都市であり、インドでもっとも近代化が進んでいる街だと思います。商業的な中心は西のムンバイであり、第三の都市は南のチェンナイです。ただ、チェンナイはとても保守的な地域で、南はバンガロールやハイデラバードといったハイテクな都市のほうが有名かもしれません。eコマースのAmazonやFlipkartなど、さらにはGoogleやMicrosoftなどの本社もバンガロールにあります。
デリーからムンバイまで飛行機で2.5時間、チェンナイまでは3時間。私のみている事業部門の本部はチェンナイにあり、週に一回はチェンナイに出張しています。なかなか片道3時間のフライトに年中乗るのは私の年齢からすると厳しいものがありますが、まぁ現場主義の私ですから、これも経験や!と頑張っています。
インド人との仕事はなかなかストレスたまります。文化の差?と言ってしまえばいいのかもしれませんが、私のように長くインドに関わっていても、いまだに納得いかないことは毎日あります。まず、とにかく人の話を最後まできちんと聞きません。相手を遮って自分の言いたいこと、自分に非がないことの説明をぶちこんできます。ちょ、ちょっと待て、人の話を聞け!と叫んで私もしゃべります(笑。最後まで聞くと納得してもらえることも多々ありますし。また、自分の責任範囲を明確にして、今回の失敗は自分の責任ではないということに固執する人が多いです。とにかく遅刻したのは自分のせいではなく、バスが遅れたからだ、ということを説明してくるみたいな。日本人が大嫌いな言い訳をしてくるんです。日本の文化を理解しているインド人はだんだんこうゆうのを減らしますが、とにかく、自分の責任ではない、自分だけはExcellentな仕事をした、評価は最高、給料上げてくれ、っていうロジックです。最初は、なんてひでぇヤツらなんだ!と思うんですが、インド人はぼぼ全員こんな感じですし、このような固執こそが自身の会社の中での存在意義を高めることであるという考えなんです。逆に言うとそれがないのが日本人の悪いとこ、というか弱いところなのかもしれません。
私はチェンナイにいるCさんというインド人の事業部長をもっとも信頼しているし尊敬もしています。彼がいるからこれまでの仕事はうまくいっているし、彼には本当に感謝してます。彼とは友人であり、パートナーであるし、特別な関係です。国籍を問わず、仕事するうえでは人対人の信頼関係に基づいた何かが必須だと思っています。つまりは根本的にはインド人だって同じ人間ですし、わかりあえます。そう信じて私はやっているし、Cさん以外のそのように思える仲間もすこしずつ増えています。
インドで生活するうえでとても不便なのは交通手段と食事です。日本と違い、電車やバスは全然整っていませんし、当時はタクシーを使うのも大変でした(今はUberが発達し相当便利になりました)。我々駐在員は一人一台車(ドライバー付き)を与えられ 、土日含めた移動をすべて車でしていました。そうしないと、どこにも行けないんです。これはこれで相当なストレスになります。自分で車を運転することは禁止されています。というか、ルール無用のインドの道路での車の運転は相当難しいと思います。道路には人、動物、リアカーなんでもいますし、寝てる動物もいるし、どの車も車線を守らないし、逆走もしてきます。事故しないのは相当ドライバーの腕が良いからだと思います。ま、実際のところ事故も多いですが。
そして、食事ですが、2010年当時、言葉を選びますが、ろくな和食がありませんでした。我々の住むグルガオンという町に2,3軒あった和食居酒屋は高いばかりでクオリティは低かったです。それをだんだん御馳走と思えるようになったのはサイボーグ化と同じぐらいの自分の悲しい変化でしたが。。。今は正直なところ相当美味しい和食が増えましたよ。食事で言えば、インド人は宗教上牛を食べません(ヒンドゥに限る)し、豚は不浄のもの(汚いもの)として食べません。我々が大好きな牛肉も豚肉も食べないんです。和食レストランでは牛肉豚肉もありますが、インドでは流通もしていないので、高くてまずいものしか食べれなかったんです。これはつらいですよ。。。
インドに居ますから、インド料理をよく食べます。はい、カレーですよ。日本のカレーライスとは全然違います。「インド人って3食カレー食ってんの?」という質問がありますが、「カレー」を、マサラ味の食べ物だとすればその答えはYESです。しかし、このマサラは日本で言う醤油みたいな位置づけなんで、料理は千差万別ですよ。日本ではナーンが典型的なインドの主食と思われていますが、いろんなインドブレッドがありますし、南のほうはお米が主食です。豚も牛も食べませんが、その代わり鶏とマトンが主流で、ものすごく美味しいです。日本では聞いたこともなかった料理がインドではたくさんあって、日本人も好きな味がたくさんありますよ。
インドに限らず、違う文化圏で仕事する生活する、というのは簡単なことではないと思います。それでもやはりインドでは相当ハードルが高いだろうと思われます。書ききれませんが、住宅事情も相当悪くストレスたまりますし、コロナの話をする前にも、マラリアやデング熱、チフスなどに駐在員は感染するリスクもあります。不便と言ってしまうと雑ですが、その中で見出す成功や経験は、生きていく活力になっているのかもしれません。たくましくなりますよ。
インドの結婚式は超盛大です。何度も出席させてもらいました。
オールドデリーのJama Masjidという雑踏、とてもインドらしいところです
有名なガンジス川です。バラナシという街です。
リゾート地のGoaという街に来ています
駐在仲間でボウリングしたりしました
■Covid-19:ロックダウンが始まるまで
8月初旬においてCovid19のインドにおける累計感染者数は1.8百万人を超え、米国ブラジルに次ぎ世界3位、死者は3.9万人ですが、米国人口3億人の4倍以上の13億人の人口を抱えるインドとして、一部の意見ではこれまでの政府の対策は一定の効果があったのではないかという声も聞こえます。一方で日本を含むアジア諸国のように理由は不明確ながら欧米諸国ほどの悲惨な状況にならない何か別の原因があるのではないか?という議論もありますね。その真相はわかりません。
インドの生活習慣はそれこそ3密の典型的なものであると言えます。広大な土地があるにもかかわらず、狭いところに密集するのがとても好きな人たちであると思いますし、宗教的な儀式ではさらにそれは激しくなり、事実宗教集会がクラスター感染を引き起こしていました。インドは3月の終わりからロックダウンに入りましたが、それまでのインドの対応や対策はどうだったでしょうか?
2020年1月ごろ、中国武漢において新型ウィルスが猛威を振るい始めました。ここインドでは中国での話は遠い国の話しであり、誰も関心なかったと記憶しています。
2月になり、武漢がロックダウンになるような話も聞こえてきましたが、まだインドでは何のアクションも起きていません。ビジネスにも2月はまだ影響はなかったです。しかし、インド政府は2月から少しずつ対応を始めます。2月の上旬に中国人ならびに1/15以降に中国に入国した外国人のインド入国を拒否し始めました。要はインドでこのウィルスが流行る前から水際対策を開始したわけです。2月末の時点では、インド国内で新型コロナ感染者数は3名。たったの3名だったんです。
私は2月の後半の三連休にバンコクに健康診断の再検査に行きました。この状況下で悩みましたが、病院の予約もしていましたし、インド駐在員にとってバンコクに行くのが楽しみの一つだというのもありました。この帰国の際には、デリー空港で問診票と体温検査がありましたが、比較的簡単に出入国できました。
3月時点でインド国内の感染者はまだ5人程度だったはずです。その正確度はともかく、公表数字はこの程度ながら、インドはさらに水際対策を強化し、外国人のVISAの制限を始めました。一時的なビザ(E Visa)は無効となり、とにかく新規で外国人が入ってこないように、いま海外に一時的に出ている人の家族は入国させないなど、なかなか無茶なルールを作りました。インドの特徴はいつも唐突にけっこうなルールを作っちゃうことですね。
このころは我々のビジネスにも少なからず影響が出てきていました。とにかくお客さんが外国人との接触をいやがるし、そもそも活動しない。市場が著しく縮小しているのを肌で感じました。これはやばいぞ、と。
我々は他の国の状況をチェックしながらも、いまだ感染者が非常に少ないインドはすぐにはロックダウンなどしないだろうとタカをくくっていました。業務上の問題として、ロジスティックの停止や通関のトラブルだけが心配でした。。しかし、3/22(日)終日外出禁止という意味不明な決定をきっかけにインドはロックダウンに突入していきます。
我々は3/20(金)に仕事が終わってから、駐在仲間で飲みに行っていましたが、その飲み会から3か月も外でお酒を飲めなくなるとはその時点では予想もできていなかったです。3/21(土)の夕方にインド政府は、3/24から月末までのロックダウンを突然発表しました。土曜日の夜ですよ。金曜日に普通に仕事終えて週末を迎えていた我々の混乱は想像に易いですよね。
前述の通り、インド政府の意思決定は常に突然です。BJPのモディ首相がアナウンスする、となると「今度は何を言い出すんだ?」とみんなが期待と不安をもつ、といった次第です。日本のように、揉んで揉んで何も決まらないよりも良いのかもしれませんが、突然決まる政策はとにかく混乱します。以前、私が日本に帰任していた2016年にいきなり高額紙幣の廃止と数か月での無効化を発表したのもモディ首相でした。今回のロックダウン決定も突然でしたし、まだインド国内の被害というか感染者もいない状況でしたので、本当に驚きました。しかしながら、いま振り返れば、このウィルスの性格上すでに相当数の感染者がインドにもいたことは容易に想像でき、水際対策を2月から開始していたわけで、ロックダウン自体の効果はともかくとして、早期にロックダウンに舵を切ったトップのリーダーシップは一定の評価はされて然るべきかと思います。
それでもここから4か月後に感染者が1.8百万人まで増えていくとは、感染者が10人以下であったこの時点では夢にも思いませんでした。
ロックダウン時の道路。こんな空いている道路はインドではあり得ません。
水を定期的に運んでもらって生き延びておりました
アパート内のスーパーマーケットでは人数制限、行列はソーシャルディスタンス。。やだやだ
■ロックダウンのインド
インド政府の突然の発表によりインドはロックダウンに突入します。2020年です。
3/20(金) | 3/22(日)の終日外出禁止を発表 モディ首相が理解を求めて会見 |
3/21(土) | 夕方に3/23から3/31までロックダウンを実施することを発表 |
3/22(日) | 終日外出禁止。実質的にこの日からロックダウンがスタート。とにかく外に出れない |
3/24(火) | インド政府が4/14までのロックダウンの延長を発表 これをロックダウン1.0と命名 |
4/13(月) | インド政府が5/3までのロックダウンの延長を発表 これをロックダウン2.0と命名 |
5/3(日) | インド政府が5/17までのロックダウンの延長を発表 これをロックダウン3.0と命名 |
5/17(日) | インド政府が5/31までのロックダウンの延長を発表 これをロックダウン4.0と命名 |
6/1(月) | インド政府が6/30までの期間をアンロック1.0として緩和しながらのロックダウン実施を決定 |
7/1(水) | インド政府が7/30までの期間をアンロック2.0として緩和しながらのロックダウン実施を決定 |
8/1(土) | インド政府が8/31までの期間をアンロック3.0として緩和しながらのロックダウン実施を決定 |
9/1(火) | インド政府が9/30までの時期をアンロック4.0として緩和しながらのロックダウン実施を決定 |
10/1(木) | インド政府が10/31までの時期をアンロック5.0として緩和しながらのロックダウン実施を決定 |
と、長々と書いてしまいましたが、インドは2週間程度のロックダウンを発表して最終日に延長する、という形でロックダウンを継続しています。節目節目でガイドラインを発表し、映画館、学校は×など、具体的に示していきながら段階的に緩和を進めています。私が見る限り、当初はかなり厳しいロックダウンを開始し、インド国民も意味不明ながらコロナウィルスにおびえて従っていたように思います。しかし、経済的な大打撃が進みつつある中、中央政府は一定の緩和を進める方向で、日本の各知事に決定権があるのと同様に、インドも各州に具体的決定権があり、中央政府の指針をもとに各地がルールを決めています。そのルールが州によってばらばらでして、ムンバイのマハラシュトラ州は一番感染者が多いところですが、最も厳しいロックダウンを継続中ですし、比較的感染者が少ないケララ州は何らかの理由により、ここも厳しいロックダウンを継続、我々が住むハリヤナ州は比較的緩和しつつも一部異なる、などとにかくバラバラです。これがインドの迷走であるのかな、と思います。
ここまでロックダウンで厳しく管理しながら、インドの感染者は途中から爆発的に増えます。おそらくPCR検査のやりすぎのような気もしますが、とにかく公表数字が増え続け、毎日のように世界順位を上げていきました。細かい話をすれば、地方からの出稼ぎ労働者の取り扱いやその移動によりクラスター感染が増えたなどの推論もありますが、これは一定の推測も含みますし、私にはわかりません。この人口と3密生活習慣のインドではこのウィルスがパンデミックになることはある程度の予想はできますし、それほど驚くことでもないような気もします。
さて、3/23(月)から実質ロックダウンが始まり、会社もクローズして初めての在宅勤務。。。これはなかなか大変でした。私の世代は会社に行って自分の仕事スイッチを入れるタイプが多いと思いますし、少なくとも私はそうで、自宅ではやる気にならんのです。しかし、この状況ではそうも言っておられず、やるしかないし、環境作りからはじめまして、自身のモチベーションキープやら往生しました。人間そのうち慣れてきますから不思議なものです。
インドの病院のクオリティやベッドの数などを鑑みて、爆発的に増えていく感染者数も助長され、各日本企業は駐在員の一時帰国を進めました。当社も同様の検討をし、若手社員数名の一時帰国を4月中に決定、彼らは臨時便で帰国し、インドにおけるロックダウンを耐えた後に日本でも2週間もホテルで隔離され、それでも日本では病原菌扱いされるというかわいそうな目にあいました。このころ、海外からの帰国者に対する日本在住者からの目はひどいものでしたよ。そして毎日の在宅勤務、テレビ会議で彼らも我々も慣れて、いまでは遠距離ながら問題なく業務ができてしまっています。これはこれで少し問題なのですけれども。
インド残留組の我々の生活についてもう少し。ずっと家の中にいるストレスってすごいんですよね。スーパーマーケットにしか行くことができないって本当につらい。4月末までは酒屋もクローズでお酒を自宅でも飲めない。お酒のストックはすぐに終わってしまい、私はドライバーに頼んで闇市場からビールを調達したりしました。5月に入り、やっと酒屋が開いたんですが、そこにインド人が殺到して密になる、というような笑い話がニュースになっていました。とにかくレストランがやっておらず、デリバリしかありませんから、やはり飽きますよね。肉はなかなか手に入りませんが、野菜は豊富なんで、この時期にたくさん料理を覚えました。腕が上がったかもしれません。
6月に入り、緩和が進み、やっと当社グルガオン本社オフィスの再開が決まったのは、6/8でした。こんな私でも久しぶりにオフィスに行ける喜びは相当なものでしたよ。私がオフィスに行って仕事したいと思うなんて世も末です。当初は9時から4時までの時短営業でローカルスタッフは週2日か3日だけ出勤。我々日本人だけが毎日オフィスで仕事していました。しかし、インドの感染数はますます増え、社員でも経路不明ながら陽性者も増えてきたこともあり、10月から我々もローカルスタッフ同様に週に2から3日は在宅勤務になりました。
当社は4か所に支社がありますが、開いているのはグルガオン本社とバンガロールだけ。10月になっても他の支社は再開の目途もたっていません。
日本はだんだん先が見えてきたし、他の国も感染者ピークを過ぎてきている(?)と、なんでインドだけがまだもたもたしているの?とあちこちから責められます。こんなに情報が共有されている狭い世界でもインドの実態はわかってもらえません。「なんで今月こんなに売り上げが少ないのか?」と東京から厳しく質問されるたびに、悲しくなります。市場は動いていません。お金も回収できません。インドのこの長いロックダウンはインド経済に壊滅的な打撃を与えています。インド政府は支援のようなことを言っていますが、いまだ何も具体的ではありません。いや、財政を考えれば何もできないことは明白であり、これを機会に倒産する会社も多いと思います。日本のようにサポートを前提に休業要請、などと甘い話ではないのです。
ショッピングモールに行くと、かつてお店があった場所が取り壊されているのが散見されます。倒産した会社も多いでしょう。
まだコロナは収束が見えません。まだ真っ最中でインドは出口を探っています。体力のない会社は脱落していきます。海外駐在員も減ると思います。来年には新たなインド市場が確立されるのではないかと思います。生活習慣も変化があり、インド人の消費特徴も変わるかもしれません。私はきっとまだその中にいて富士フイルムという企業が何か新しいインドに与えられるものはないかを考えていければいいな、と思います。
髪の毛もボサボサに伸びましたね。ロックダウンで床屋もやってません。
デリーのAmbience Mall。ロックダウン明け直後でガラガラでした
一時帰国中に本帰国がきまった仲間の引っ越しを代理でやりました。
■Unlockとインドの今
10月になって、我々の住むグルガオンでは大分気が緩んできているような気がします。当初はかなりピリピリしていたんですけどね。いくつか周りのインド人たちの敏感な行動などをご紹介します。
私は、比較的高級な高層マンションに住んでいますが、ここに住んでいるインド人は富裕層だと思います。アパート内のガーデンやスーパーマーケットでインド人たちと遭遇しますが、彼らの印象は非常に極端です。
- マスクしてレジに並んでいたとき、前の人との距離は50cmくらいでしたでしょうか?その前の人であるインド人の男性は僕に「Social Distance!」といい、私に距離をとれと言ってきました。彼もがっつりマスクしているのに、です。
- あるスーパーで支払いをするために並んでいた時です。後ろの老婆が大きな声で「Excuse me!!!」と言いました。なんだろう?と思って振り返ると、自分が今からスーパーの外に出るから、我々の行列にスペースをとれ、と依頼しているんです。え?充分わきを通れるスペースがあるにも関わらず、ですよ。
- アパートの住民が参加するfacebookのcommunity pageがあるんですが、そこに毎日のように告げ口ポストがあげられます。「今日、女性二人がマスクもしないで入り口のところで井戸端会議していたぞ、これ、どー思う?」とか。
新型コロナウィルスについてはまだわかっていないこともあろうと思いますから、断言はできませんし、難しいところだと思いますが、少なくとも殺人ウィルスではありませんよね。人間はマスクして接触しないことを強いられるのでしょうか?極端なインド人の対応を見ていると、ちょっと誤解しているな、過度に恐れているな、と感じます。もちろん、これが全インド人の理解ではありませんし、貧困層の多いマーケットでは逆にケアしすぎていないケースも散見されています。
要は、受け取り方が極端すぎて、これもまたインド人の特徴なのかな、と感じてしまいます。
ロックダウン以前から食事のデリバリーする仕組みはインドでは非常にポピュラーでして、Uber Eatsを買収したZomatoやSwiggyといった大手が素晴らしいシステムを提供しています。ロックダウン開始直後からデリバリ営業を許されたレストランのデリバリをこれらの業者が請け負い、スマホを使って簡単オーダー、キャッシュレス決済、非接触配達を実現しています。私もインド経済のためになると思い、無理して毎日のように外食デリバリを頼みましたよ!
スマホアプリでは、配達バイクの位置情報をリアルタイムで確認できるのですが、配達者の名前はもちろん、体温までモニターできます。実際に合うと、変な奴だったりすることもありますけどね。
5月から街の酒屋が再開しましたが、デリーでは混雑を避けるために一時的な酒税増を実施(インドの無茶苦茶なところですな)し、値上げによる客減らしを進めました。私もやっとお酒が飲めるということでビールを箱買いして自宅で飲めて安心したものです。モールの営業が許可されるまで、路面店だけレストランは営業していましたが、一部のレストランは6月から店舗営業を許可されました。よくあるようなサニタイザーやらソーシャルディスタンスを維持しながらですからお店も大変ですよね。しかし、8月になっても、いまだ店舗でのお酒の提供は禁止されていました。どうもお酒のライセンスの更新を行政がしぶっているようでした。9月以降やっとお酒を提供しだすレストランが普通に営業を開始しました。
インドでは、選挙のときもドライデーといい、お酒の販売も提供も禁止されるのですが、どうもお酒を飲んでインド国民が気が緩んで無茶をする、ソーシャルディスタンスを守らないことを危惧しているとか。私に言わせれば、どんだけインド政府が国民を信頼していないのか?と思うのです。
モディ首相は、「みんなでコロナをやっつけよう」と感情論を言っていますが、そのなかで「会社は社員に給料払って、解雇しないように」と言っています。しかし、何の補償もしない中での話です。我々外資系の企業はこの言いつけを守り、とにかく解雇や減給しないように努力しますけれども、それも限界あります。逆にいえば、特別法律で制定されたわけではないのです。周りを見渡すと、モディ首相の期待に反して、解雇や減給は起こっていて、1億人単位で失業者が出ているとの報道もありました。普通に考えて、数か月市場がとまり、事業ができなかったら、廃業を含め検討しなければいけない会社があるのは当然です。政府の指針が不明確で、行政に確認したところ拘束力がないことが分かった時点で我々も人員整理、いわゆるリストラを検討しました。そうしないと、会社が生き残れないからです。3月から始まったこのコロナ禍で、第一クオーター(4月から6月)は史上最悪の事業状況であり、どんぞこの赤字でした。軋轢を生みますが、人を切り、経費を削り、事業を見直さないと、我々が死んでしまいます。
他社の状況も然りです。日本人をいち早く一時帰国させた企業が多かったようですが、そのまま本機国になった方がたくさんいらっしゃいます。日本人駐在員をインド在籍にしておくだけで経費はかかりますし、そうしないと立ち行かないのは議論の余地がありません。当社も1名日本に一時帰国の際中ながら、日本への帰任を決定しました。
10月現在、米国に次ぐ陽性判明者数で7百万人以上になったインドですけれども、当社社員や家族、ドライバーなど累計で20名近くが陽性になりました。社員400名弱ですので、確率は結構高くなっています。我々残留日本人のドライバーたちも一部陽性者との接触があったということで、我々もインドにおけるPCR検査を9月末に受けてみました。費用はRs 1,600 (約2,250円)で大手の医療機関が実施してくれますが、屋外の掘っ立て小屋で実施された検査はなかなかの面白い経験でした。あんな検査でホントに分かるの?と思いましたが、自分の結果は陰性でしたので、とりあえず安心です。こんな感じで簡単に検査が受けられるので、毎日の検査はすさまじい数になり、陽性判明者は爆発的に増えている、というような構図が垣間見えました。日本だと自分の意思でPCR検査すると数万円かかるらしいですよね?。。。だいぶ違いますね。
様々な状況は日々変わりますが、10月の時点でまだまだ予断を許さない状況です。世界から見ればインドは危険国なのかな?当然外国との行き来はまだまだ正常化の目途はたっておらず、僕らが一時帰国できるのはいつになるやら。日本航空や全日空は駐在員や家族のために月に数本臨時便を出してくれていますが、費用も高く、日本でもインドでも隔離が必要であるため、しばらく僕は帰国できそうもありません。
早くコロナ禍を笑い話にできるような日が来ればよいですが、まだ先は長そうです。牛丼、ラーメン、納豆が恋しいですが、もう少し辛抱します。
日々のインド生活はこちらのブログを2010年から一応匿名でやっておりますので、最新情報はこちらでお楽しみください♪
https://ameblo.jp/warwick-thumb/
以上
2021年2月に1年半ぶりに一時帰国。こんなフェイスマスクまでさせられて仰々しく飛行機に乗りました。
20回以上やったPCR検査。屋外で綿棒を鼻と喉に突っ込まれます。
日本では入国から一週間アパホテルで強制隔離。辛かった。。。