宗教と俺

宗教の話、ってタブーかもだけど、あえてしてみよう。俺の経験しか書けないけどね。

2023年現在、僕は日蓮正宗の檀家になっていますが、基本的には典型的な日本人であるような無宗教な人です。しかし、まあ、こうなるまでいろいろとありました。50年以上も生きているといろいろとありますね。インドに駐在してみて、海外は生活と宗教が近いし、日本とは違う世界観はありますしね。しかし、日本人である自分の考えは変わりません。ちと自分の経験と考えについて振り返って整理してみようと思います。

昨今の統一教会の問題や、韓国で多々あった宗教に絡む汚職系や殺人的な事件、政治との癒着も含めて、とても醜い世界だと思います。関わりたくない。カルト宗教なんてなんでハマるんだろう?ってふつう思うよね。でも、人間の弱さなんだろうか?ずっと昔から今も宗教がらみのトラブルは無くなりませんよね。僕も極めて一般的な考えです。宗教にはまるやつはバカだと思っています。


自分は静岡県富士宮市出身です。
富士宮市には大石寺という日蓮正宗の総本山があります。かつては創価学会と同宗は蜜月にあり、創価学会の総本山が富士宮市の大石寺にありました。僕がガキの頃には、日本中から創価学会員が富士宮市に毎日たくさん通ってきていました。おかげで町は経済的に潤い、JR富士宮駅が妙に巨大なのは、学会員がそこに集まりバスに乗るからだったんですよね。しかし、1991年、僕が就職した年ですけれども、日蓮正宗は創価学会を破門しました。その背景やら事情はGoogleやwikiで調べていただければわかると思います。以降、富士宮市はその経済的な潤いを失い、すたれていきますが、とにかく宗教的にはそんなことがありました。

で、僕の両親は創価学会員でした。とはいえ、普通の信仰をしていた普通の学会員という感じでしょうか?特に母親などはまったく活動はしていなかったし、親父はひたすらお題目をあげるだけでした。思い起こせば、富士宮市にはやっぱり創価学会員は多くて、普通に信心している人がたくさんいたと思います。よく言われるようなひどい癒着や出家などの世界は稀なケースで、ほとんどは純粋に信仰していたんだと思いますね。
両親は僕が生まれる前に神戸からある事情があって富士宮市に越してきましたが、母親は早くに美容室を経営していました。創価学会が根強い富士宮市において人脈を作るのに、母親が創価学会への入信を決めたとかつて生前聞きました。特別に信心もしていなかったし、さほど選択するというような感覚もなかったと思います。父親はそれに従い、むしろそのまじめな性格から、神様を大事に、というような形でまじめに信心していたと思います。

創価学会には、青年部とか婦人部とかいろいろと部隊があり、ガキを集めてなんかイベントやるのもあります。子供の頃の自分には選択肢もなく、両親の勧めるにしたがい、創価学会の集まりに参加していました。それがなんだか理解もせずに、です。宗教二世の問題はこんな形で生活に入り込んで抜けなくなることから始まるのでしょう。僕の場合は、そこまで両親や周りが押しつけがましくなかったのもあり、適当にやっていましたし、自分の性格もあり、ちょっと小ばかにしていた節もあったと思いますね。

創価学会員は、地域の近距離の中の居住区でグループ分けをして、定期的に持ち回りで各家庭で座談会というのをやります。座談会では、リーダーみたい人が、学会誌のようなものを紹介したり、聖教新聞の記事などをシェアしたりして、最後はお題目をあげて終わります。ガキの頃の僕は、たまに自宅で夜開催される座談会の末席で話を聞いていました。
そこで話されるのは、「世界でこんな素晴らしいニュースがあったのだが、これは学会員が一生懸命信心したからだ」とか、「こないだの大惨事は当事者が学会員でなかったからだ、信心が足りなかったからだ」というような話ばかりなのです。はあ?と誰が聞いても思いますが、参加者はうなずきながら、じゃあ我々も一生懸命信心しよう、一生懸命お題目を唱えよう、となるわけです。意味不明です。

そんな折、僕は中学2年生の時に不注意で左ひざ十字靭帯を切ってしまい、半年ほどギブス生活になってしまいました。これは僕にとっては大事件であり、生活はガラッと変わってしまいまして、相当落ち込みました。
当時両親や周りの学会員は、「朝晩にお題目を唱えなさい」と。
僕は正直、困ったときの神頼みで、できる範囲でお題目を唱えたりしていました。
半年後、ギブスを外した時に完治ではなかったですが、ある程度の治癒は進んでいました。

そこで、学会員のおじさんは、「それは君が一生懸命お題目をあげたからですよ」と。
中学生ながら僕は彼らの神経を疑いました。お題目で解決できるなら苦労しねーよ。じゃ、なんで完治じゃないのよ?

前から座談会での違和感もあり、この事件をきっかけに僕はすっかり創価学会を嫌ってしまい、両親にお願いして、僕は脱会させてもらいました。両親の信仰の自由は僕には関係ありません。その後も両親は創価学会員でしたからね。

この当時とダブった経験として一つご紹介します。僕はガキの頃からずっとボーイスカウトをやっていて、中学の頃に宮城県のジャンボリーに参加しました。そのとき、富士宮から選抜部隊が参加したんですけど、夜キャンプしている中で、地域の隊長の一人が富士宮市内のあるお寺の住職さんでした。彼の宗派も何も知りませんが、彼の言った言葉で「宗教は頼るものではない、尊ぶものなのだ」というのが僕に刺さりました。深く意味も理解できない年頃ではあったものの、自分と宗教の距離感を決定づけた忘れられないエピソードです。

これが、僕の創価学会経験です。
創価学会を別に奇妙な新興宗教というほど僕は決めつけていません。両親のように純粋に信仰している信者ばかりだし、ほとんどお布施らしきこともしていませんからね。ただ、僕は信じない、ってだけ。二世がみんなハマるわけではありません。


2009年11月に母親が74歳で亡くなりますが、その半年前に彼女は自分の経営する美容室で倒れて、その後肝性脳症を患い、半年間の闘病の末に旅立ちました。僕は半年の間、美容室の整理や両親のケアで毎週のように横浜から富士宮に帰り、両親と話しをしました。
正直なところ、母親の命の終わりが近づいているのはわかっていたので、まだ元気な時に母親と話をしたんです。
俺「なあ、母ちゃん、もし死んだら、葬式はどうしたい?創価学会でやる?」
母「うーん、創価学会は大石寺と喧嘩したから、いま葬式やると学会員の普通のスーツ着た人が葬式やるんだよね。やっぱり葬式は坊さんがいたほうがいいなあ」
俺「そうだよな、前から縁のある忠正寺(前から縁のある日蓮正宗のお寺)に頼むのがよいかね」
なんてな話をしていたんです。要はこれに限らず、死ぬ準備をしていたと思います。しかし、死ぬ前に準備はできなかったけどね。

いざ、母親が死んでしまうと、喪主となる僕は大忙しで細かい話なんてしていられません。しかし、お袋の意志であった、「坊さんのいる葬式」をするためにはどうすればよいのか?を父親とも議論して瞬時に決めました。

で、嫁さんと二人で富士宮市の忠正寺にお願いに行ったんです。お寺のほうは僕の家の事情は理解してくれました。父親は創価学会員のままであるが干渉しない、そして、俺と嫁さんは忠正寺の檀家になることを条件に、母親の葬儀を受け入れてくれました。おかげで滞りなく母親を送り出すことができました。

以来、このお寺とご住職には大変お世話になっています。富士宮から法事のために横浜まで来てくれます。嫁さんの玲子が亡くなったときも、枕経のために富士宮から駆けつけてくれました。親父が亡くなったときも生前の条件で、日蓮正宗で葬式することも決めていて、快く受け入れてくれました。別段、昔からの宗教やそのベースとなる檀家システムを特別肯定するわけではありません。事実、忠正寺からお布施の依頼やイベントの参加要請がたまにきますが、対応したことはありません。それでも有事には問題なく対応してくれますし、ご住職と話をすると、とてもためになります。そんな関係で充分だし、問題ないと思っています。


ぜんこ家は元々神戸市長田区にあり、海泉寺というお寺の檀家でした。そこに先祖代々のお墓があったのですが、何しろ遠くて僕は行ったこともなく、父親が当時管理費を支払い続けていたと思います。
2009年に母親が亡くなり、さてお墓をどうしようか?と思案しました。僕らには子供もいなくて、自分以降の墓守もいないから、今どきお墓は不要ではないか?とも思いましたが、そこは古い考えながら、僕はお墓調達に動きました。その前に神戸のお墓をどうにかしないと。

2010年早々に父親と嫁さんと三人で神戸に行きました。それは、海泉寺のうちの墓の永大供養をするため。
いま思い起こせば、納得感はありませんが、宗教ビジネスってものでしょうか?
要は、神戸のお墓を引き払って、横浜で新規にぜんこ家の墓を立ち上げるための手続きです。海泉寺の「言い値」でお金を支払いました。たしか100万円強だったと思う。そして、ありがたいお経をしてもらうだけ。なんだそりゃ?
その時、境内のうちの墓を見に行ったんだけど、阪神大震災のときに崩れたらしく、跡形もなくて、その場所らしきところがあるだけ。そんなんでご先祖さまに顔向けできねーよ。親父が毎年払っていた管理費って何なんだよ!って思いましたよ。お寺も商売なのか?ふざけんな。クソ坊主と喧嘩しそうになりましたよ。

とにかく目的を達成しました。ご先祖様に呪われないためにやることをやっておかないとね。そして、横浜の緑区にあたらしく、ぜんこ家のお墓をたてましたです。まあ、高級車一台購入したぐらいでしょうか。結果、母親、嫁さん、父親の順番に3人入りまして、そのうち僕も入るわけです。

ま、そんな宗教団体の一面にも遭遇しました。
実は、母のほうの親せき、具体的には母の実の兄貴が神戸の違うお寺に婿養子に入っていて、当時長田区にある法隆寺というお寺の住職をやっていました。そのとき、海泉寺の帰りに法隆寺によってお茶したんですが、その住職、つまりは僕のおじさんも海泉寺の対応に怒ってましたね。そんな話です。

宗教に絡むところでは、それくらいが自分の経験かな。


ぜんこ

僕はよく外人と話す時にこんな冗談をいいます。
友人「ぜんこが信じる宗教はなんなの?」
俺「俺は宗教なんて信じないよ。あえて言えば、お金だね」
友人「え?お金?宗教じゃないじゃん」
俺「お金は裏切らないよ。お金だけが信用できます」

ある意味、真理だと思いますよ(笑

神様がいたら、玲子さんがあの若さで死ぬことなんてなかったと思うんだよね。神はいません。

ま、楽しくいきましょ♪

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