こんなに一生の趣味になるとは、、、ベースギターを弾くこと、ライブを演ること、ライブを仕切ること、、
僕が学生時代から一番長くやったバンドがTUNEでした。この5人は今も大切な親友たちですが、今はそれぞれ別のバンドやっています。そして、今は、ZENZARZとぜんたけぺーにょっち、の二つを両方ともリーダーです!
大学1年の時に同級生で結成したオリジナルハードロックバンド。社会人時代も継続し、2012年ごろまで精力的に活動
Vo. 宮永
Gt. 戸張
Gt. 宮原
Ba.ぜんこ
Dr.やすまん
2010年にTUNEのライブ欠席を機会に組んだ前座のためにぜんこが組んだ企画バンド。メンバーは流動的でヘヴィメタルから歌謡曲まで幅広い。2023年現在も活動中(下記2023年現在メンバー)
バンド紹介
Vo. 栗田
Gt. 松井
Ba. ぜんこ
Dr. 前島
kenhatを偲び飲んでいた仲間で、かつて対バンでやっていた熱いメンバーが集まって、よし、組むか!とやっぱり飲みながら結成したバンド。
バンド紹介
Vo. Petsu
Gt. たけ
Ba. ぜんこ
Dr. うにょ
Key. やすっち
2022年に日本日本帰国。またバンド活動を再開。ここからまた動き出します!
8 FEB 2025
ぜんたけぺーにょっち
目黒ライブステーション
coming soon
coming soon
大学1年から始めたオリジナルハードロックバンドTUNE、メンバーの転勤で活動ができていなかったが、2003年に活動再開し2012年に僕がインドで活動できなくなるまでのライブ奇跡、とくにチームはマロックフェスはこちらhttp://zenkoyanen.web.fc2.com/live-tune/index.html
こちらのサイトは、スマホ表示に対応しておりませんので、ご了承ください。
ベースギター♪
自分のバンド活動
高校入学して隣の席になったのが、なんと小学校時代の親友だったターボーだった。彼とは小学校4年の時にそれぞれが転校して市内の違う中学に通っていたのだが、偶然同じ高校に入学して、同じクラス、しかも隣の席だとは。またターボートは親友に戻ったし、大人になった今でも彼とは交友がある。そして彼が中学時代からやっていたベースギターに魅せられ、影響を受けた。俺もやってみよう!と単純に思ったのかな。
彼はLoundnessとか日本のHeavy Metalにはまっていたけど、僕は当時はPunkが大好きで日本のPunkバンドのコピーして仲間でバンドを始めてみた。楽しかったよね。でも、だんだん縦ノリだけのPunkでは面白く無くなってきたし、ターボー以外の友人も含めて、周りにはジャパメタ好きなやつばっかりだったこともあり、自分も自然にHard Rockに傾倒。。同級生で富士川2号というバンドを組んで、ターボーのバンドに次いで僕のバンドも高校内では有名だった。当時は、アースシェイカーや44Magnumとかをコピーしてたね。
高校を卒業し、ターボーはプロになるために、青山レコーディングスクールのベース学科に進学、僕は普通に大学に進学し上京しました。その大学では、最初はバンドをやることは決めていなかったけど、ちょっと見に行ったら、やっぱり好きだから前のめりになってしまいました。即決で、AMUSEという軽音楽研究会、要は音楽サークルに入りましたね。そこで知り合った同級生と始めたバンドがTUNEでした。
自分以外のメンバーは高校時代に相当腕を鳴らしていたようですな。僕もとても刺激を受けましたし、彼らが自分にとって東京に来て一番仲良くなった友人でした。そして、オリジナルで曲を作る、という作業をしてバンド活動が生活の中心になりましたなー。毎週サークルの練習以外に必ず、同じく週一でスタジオ練習してたし。あんだけ弾いてりゃ上手くなるかなー、ってか慣れるよね。
一方ターボーは当時のジャパメタシーンではいわゆるインディーズバンドで活躍していました。女的(Girltique)というバンドでTAKAの名前で有名でした。僕も何度も見に行ったし、他のメンバーとも仲良くさせてもらいました。その後、ターボーはZOAというプログレッシブなハードロックバンドに参加し、いまは稀ではありますが、ZOAのライブに出演しています。
TUNEは大学4年間活動を精力的に行いましたが、ジャパメタシーンほどではなかったと思います。そして、一度CBSソニーのスカウトに声をかけてもらって、彼らのライブに出演はしたものの、次のレベルには進めませんでしたね。それが大学4年の春かな。そこで全員髪の毛を切って、就職活動に進んだのを覚えています。ただし、バンド活動をやめたわけではありません。
社会人になると学生のように時間は使えないので、そのジレンマに苦しみました。そして、メンバーが転勤に。まだ若い僕らはその時代に物理的な距離感を埋めることはできませんでしたね。しかし、いるメンバーで違う形で、大学の仲間たちと、いろんな形で音楽活動は続けました。
バンド変遷
基本的にはひとつのバンドに集中し、並列ではやりませんが、今はふたつ。でも同時期に活動はしない、というかできないですなー。
時期 | バンド | 活動 |
1983 | 海綿隊 | スターリンなどの日本のPunkをやりたくて友人を誘って作ったバンド Vo/Ba.ぜんこ、Gt.池田,土谷、Dr.あきぼー |
1984 | 富士川二号 | アースシェイカーのコピーを高校の同級生と。HRに覚醒。Revolutionという素人なオリジナル曲一曲だけ持っていた(笑 高校の文化祭、高校卒業のときの公民館ライブなど Vo.修二、Gt.篠原、Ba.ぜんこ、Dr.後輩君 |
1985 | TUNE | 大学の仲間と結成。最初はArouge、Actionなどのコピーから入り、ずっとオリジナル路線。学生時代にCBSソニーに声をかけてもらうぐらい真面目にやっていた。社会人になり活動継続したが、メンバーの海外転勤で一時休止。 2004年ごろ35歳ぐらいの頃、再結成して活動再開。flflでのコネクションもあり、チームハマロックフェスの企画を12回ぐらいやり、TUNEで活動し続けた。43歳で俺がインドに転勤になるまで活動。 Vo.宮永、Gt.戸張/宮原、Ba.ぜんこ、Dr.ヤスマン |
1995? | Auto Strada | メンバーの海外転勤でTUNEが続けられなくなり、下神姐さんをVoに戸張と八住とオリジナルバンドを結成。数回ライブ経験もアリ。 Vo.ミカ姐さん、Gt.戸張、Ba.ぜんこ、Dr.ヤスマン |
1997? | Flavor Flaovor | Auto Strada解散後、Vo井川で再開したオリジナルハードロックバンド。転勤戻りの宮原も途中加入し、Keyのササヤンも入れバラエティ豊かなロック。このころイベントライブをやり始め、幅広く同世代のアマチュアバンドマンとの関係が広がった。2004年ごろTUNE再開まで精力的に活動。 Vo.井川、Gt.戸張/宮原、Ba.ぜんこ、Dr.ヤスマン、Key.ささやん |
2009 | ZENZARZ | 自身の企画したGuiltyライブにTUNEが出れなくなって、どうしても出演したい俺は、前座をやるZENZARZを企画、Vo.宮永、Gt松井/野々下、Dr.清水でジャパメタをやり始動。以降、インド帰国した2015年から不定期に再開。Vo.栗田、Gt松井、Dr前島でメンバー確定。Gt国原さんも参加経験あり。ジャパメタからUKロックなどを経て、歌謡曲POP Rock系に変遷。いまも不定期に活動中 Vo.宮永⇒栗田、Gt.松井(ex野々下、国原)、Ba.ぜんこ、Dr.清水⇒前島 |
2023 | ぜんたけぺーにょっち | kenhatを偲んで飲む仲間、かつての対バン友人でアースシェイカーやる?で始まったバンド。しかし、みんな凄腕でやりたいメンバーと結果的にバンド組めた。ジャンル問わないカッコいい曲を選択してやっている。keyやすっちも参加してさらに幅広い曲を。 Vo.Petsu、Gt.take、Ba.ぜんこ、Dr.うにょ、Key.やすっち |