森田久美男を忘れない

2026年7月、森田久美男が単身赴任先の中国湖西市で孤独死した、との連絡を受けた。ものすごいショックだった。。

彼は、僕の親戚で、従弟の息子という続き柄ではあるが、僕よりも3歳年上の63歳。正確には、僕の母親年子の姉が結婚した相手の連れ子の息子さんである。ちょっとわかりにくいが、血は直接つながっていない親戚ではある。ただし、僕の親戚付き合いは母方の鳥取県八頭郡の森田家とかなり濃く付き合っていて、母である年子は親戚の中では姉御的な立ち位置だったこともあり、僕もその恩恵を受けていた。久美男君は鳥取市に住んでいた親戚のお兄ちゃんだったが、盆暮れに鳥取で会う久美男君は田舎でなんでもできる頼もしい兄ちゃんだったわけで、血のつながりなど関係なく、とてもいい付き合いだったし、大人になっても連絡取りあってたし、数年前に京都で酒を飲んだのが彼にあった最後だったかな。そんな感じだ。
僕の母の年子は上述の通り、親戚の中では姉御的な立ち位置で、久美男君の母のことは大嫌い(笑と公言していたものの、息子である久美男君のことを大変かわいがっており「なんであんな嫁にこんないい息子ができたのか?」と聞かれてもいないのによく言っていた。それもあって、久美男君も僕の母を慕ってくれたので、久美男君が静岡に来たことも何度もあったんだ。

久美男君は鳥取県の米子高専を出てどっか建設会社に就職したと記憶している。その後縁があったのか日本電産に勤めた。それで拠点も京都になったし、あちこち海外転勤もしていた。奥様のエリちゃんも鳥取の人だけど、久美男君が国内外に転勤するので別居生活が長かったはずだ。久美男君は日本電産に30年以上勤めていると記憶している。たしかタイの工場にいたこともあり、そのころインドにいた僕とは仕事のことで連絡をもらったこともある。日本電産がインドに進出するにあたり、人脈や会社の紹介を個人的にしたと記憶しているし、メール履歴も残っている。

2015年に僕がインドから一回目の駐在を終えて帰国したタイミングで、僕は当時京都にいた久美男君に会うために京都に行って、2人で飲んだのを覚えている。

確か京都の「がんこ」というお店で舞妓さんが少しだけサービスしてくれます。記念撮影しましたし、この写真はfacebookで彼をタグ付けして載せています。2015年ですね。

日本電産に絡んでいくつか思い出があります。

僕が若いころ業務上お世話になって仲良くなったセイコーエプソンの宮坂さんという方がいます。彼は東大出身の天才で経緯は知りませんが、日本電産リードに転職しました。それを聞いた僕は、そういえば、従弟の久美男君が日本電産で部長やってますよ、ってな話をして紹介しました。二人は意気投合して、僕もうれしかったし、2人に呼びつけられて京都で土曜日の夜飲み会にいったこともあります。3人でたらふく飲みましたよ。宮坂さんはその後日本電産系の仕事なのかインドに転勤しますが、彼曰く久美男君以外に日本電産で仲良くなった人はいないらしいです。

宮坂さん、久美男君、僕の3人で京都で飲みましたね

京都駅にて

別の時に久美男君と二人で京都飲み

もうひとつ。僕が二回目のインド駐在を始めた2018年かそのころに久美男君から連絡があって、「日本電産で部下だった韓国人キムが転職してなぜか今インドに居るのよ。彼は日本企業から派遣された韓国人ということでコミュニティが中途半端で孤独でいるらしいので、友達になってくれないか?」ということだった。こうゆう話は大好物の僕は「任せてよ!」と、すぐ彼キムちゃんとの飲み会をセットした。彼は京都大学に留学に来てそのまま日本電産に就職し、あの永森会長とも仕事をしたが、待遇の問題で会社を飛び出し、転職。なぜかその会社のインド進出に抜擢された、とのこと。偶然にも同じアパートで同じ棟に彼は住んでいたこともあり、とても仲良くなり、その後も彼との縁は続きました。今もインドに彼はいますが、仲良くしています。

キムちゃん(右奥)が日本に帰国した時、久美男君と飲んだ写真

久美男君とは連絡を取り合う関係でした。彼が日本電産の子会社ニデックモーター有限公司の要職として中国湖西市に単身赴任をしたこともしっていましたし、その後社長に昇進され、湖西市日系の企業の会長もやられておりました。

一方で、日本電産ニデックが不正会計で問題を起こしたことは世間で有名な話ですね。
しかも、その発端の一つは中国のニデックテクノモーターの不正会計です。その件が大問題となり、結果永守会長やその他の役員が退任までしています。ただ、日本電産の闇がクリアーになったとは思えませんね。僕もその不正会計の一件を調べてみました。中国のニデックテクノモーター社における不正会計処理が問題の発端のようです。久美男君が社長を務めるニデックモーターとは別会社のようですが、どうも同じ敷地にある?のかですし、そもそも同じグループであることは間違いありません。推測の域は出ませんが、役員ではないものの、社長という要職であった久美男君が負う責任なども小さくなかったと思われます。

久美男君は森田一族の血筋の無骨な男性です。この一族はとにかく健康で酒は底なしで飯も沢山吞むし、とにかくタフな人たちなのです。精神面はわかりませんが、久美男君が弱かったはずはありません。
京都で久美男君と飲んだ時によく言っていたのは、「いやあ、日本電産は永守さんのパワハラで持ってる会社だからね」「いやあ、ホントすごいよ、この会社は‼深夜でも部長は呼び出されて会議させられる」と笑いながら言ってました。僕も日本電産の無茶苦茶ぶりは取引先として知っていましたし、宮坂さん他転職先に日本電産を選択した方から聞く逸話がどれも無茶苦茶でしたしね。内外でその無茶苦茶さが有名だった日本電産で部長クラスの久美男君はそれとうまく付き合っていたと思います。

日本電産に30年以上務め、そのマネージメントの特殊さを良く知る久美男君ですから、単純に労災だ!過労働だ!という話にはならないと思います。しかしながら、異質なあの企業で、不正会計の発端のおひざ元で社長という要職をやっていた彼が単身赴任先のアパートで朝ベッドで遺体で見つかる、いわゆる孤独死になったこと、元気な久美男君が63歳で逝ったこと、、兄貴と慕っていた自分にはとうてい納得できる話ではありません。彼の心労は測れませんが、彼の寿命に影響があったと考える方が普通ではないでしょうか?

久美男君の奥様は大変ショックを受けていますが、気丈に対応し上海まで行き、遺体を久美男君本人であると確認されました。冷凍状態のまま日本に帰国されます。奥様ご家族は久美男君の死に対し、勤め先に責任を求める意思はないと聞きました。私のような親戚の末端が大騒ぎするのは違いますから、親族としては遺族家族の意思を尊重すべきと考えます。
ただし、僕は納得していないので、調べるし、こうやって久美男君の情報を残したい、忘れたくない、と思って書いています。

久美男君は日本電産のポリシー的なワークハードを気に入っていたんだろう思います。残業を問題とせず、タイや中国に転勤し、奥様とはほぼずっと別居状態。それでも夫婦仲はよかったし、奥様はそれを受け入れておりました。後で聞きましたが、数年後には仕事を辞めて子供たちも手が離れているので、夫婦水入らずで各国にのんびり旅行に行こうと計画されていたそうです。従弟で久美男君ほどワーカホリックになっていない自分からすると、なんでもっと早く仕事辞めてリタイヤしなかったんだよ!馬鹿じゃねーの?60歳すぎても働かなくてもいいのに!本当に思います。もうしょうがないんだけどね。

特にニデックに対しアクションを起こすものではありませんが、あのタフな久美男君が63歳で亡くなってしまったショックをどこかに書いてぶつけたいと思って、ただ書いております。無くなってしまった久美男君から実情をもう聞けませんが、僕はとっても残念です。また会いたかったし、飲みたかった。
今は安らかに、としか言いようがありません。

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